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東京地方裁判所 平成10年(ワ)7161号 判決 1998年12月21日

原告

山中久三郎

被告

岩田将東

ほか一名

主文

一  被告らは、原告に対し、各自金五〇万四八六三円及びこれに対する平成九年一〇月五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、二分の一を原告の負担とし、その余を被告らの負担とする。

四  この判決は、原告勝訴の部分について、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一  請求

被告らは、原告に対し、各自金一一二万九五三〇円及びこれに対する平成九年一〇月五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

本件は、首都高速道路において、普通乗用自動車が前車に追突した後、後方の普通乗用自動車が、その追突をした車両にさらに追突したため、最初に追突をした車両が再び前車に追突した多重衝突事故において、最初に追突をされた車両の運転者が、多重衝突をした後方二台の車両の各所有者に対し、自賠法三条に基づき、損害賠償を求めた事案である。

一  前提となる事実

1  次の交通事故が発生した(争いがない)。

(一) 発生日時 平成九年一〇月五日午後二時五〇分ころ

(二) 事故現場 東京都港区芝一丁目一番首都高速環状線外回り道路

(三) 被害車両 原告が運転していた自家用普通乗用自動車(多摩七九ち四八〇一、以下「原告車両」という。)

(四) 加害車両 被告岩田が所有し、運転していた自家用普通乗用自動車(品川三五に二〇四七、以下「岩田車両」という。)と、被告佐久間が所有し、運転していた自家用普通乗用自動車(川崎五七と五九二六、以下「佐久間車両」という。)

(五) 事故態様 原告は、湾岸道路からレインボーブリッジを経由して首都高速環状線外回り道路に合流して銀座方面に数百メートル進行したところ、前方を走行する車両が、順次ブレーキを踏んで減速した。そこで、原告もブレーキを踏んで減速したところ、原告の後方を走行した岩田車両が原告車両に追突し(この事故を以下「第一事故」という。)、その直後、さらに後方の佐久間車両が岩田車両に追突したため、岩田車両が再度原告車両に追突した(この事故を以下「第二事故」という。)。

2  原告の負傷内容及び治療経過

原告は、本件事故により、頸椎捻挫、頸髄損傷疑い、症候性神経痛の傷害を受け、平成九年一〇月五日から同月三一日までに合計六日、立川若葉町脳神経外科に通院して治療を受けた(甲二、三)。

3  責任原因(争いがない)

被告岩田は岩田車両の、被告佐久間は佐久間車両の各所有者であり、かつ、それぞれの自動車を自己のために運行の用に供していた。

二  争点

1  原告の負傷と第一事故及び第二事故との相当因果関係

2  損害額

第三  争点に対する判断

一  原告の負傷と第一事故及び第二事故との相当因果関係(争点1)

1  争いのない事実及び証拠(甲九、乙一、原告本人、被告岩田本人)によれば、次の事実が認められる。

原告は、湾岸道路からレインボーブリッジを経由して首都高速環状線外回り道路に合流し、時速五〇キロメートルほどで進行方向右側の車線を銀座方面に数百メートル進行した。その間、岩田車両は、同じ右車線に入り、時速六〇キロメートルほどで原告車両の後方を進行した。そして、原告車両の前方を走行する車両が、順次ブレーキを踏んで減速したので、原告もブレーキを踏み、時速一〇キロメートルから二〇キロメートルほどに減速した。他方、被告岩田は、原告車両まで二五メートルほどに近づいたところで原告車両のブレーキランプが点灯したため、いっぱいにブレーキをかけた。岩田車両は、もう少しで停止できるところであったが間に合わず、そのフロントグリルからボンネット付近が、減速した原告車両のバンパーの下付近に衝突して停止した。それにより、岩田車両と原告車両の間に少し間隔ができた。被告岩田は、シフトレバーをパーキングの状態にしてサイドブレーキをかけようとしたところ、岩田車両の後方を進行してきた佐久間車両が岩田車両に追突した。そのため、岩田車両は、再度原告車両に衝突し、第一事故の衝突よりも深く原告車両に突つ込み、ボンネットが完全に浮き上がり、後部のハッチバックドアが開かない状態になった。第一事故と第二事故の間隔はほんの数秒であり、第二事故当時、原告は、まだ降車していなかった。

2  この認定事実及び争いのない事実によれば、被告岩田及び被告佐久間には、車間距離を十分に開けて走行しなかった過失があるというべきである、そして、第一事故と第二事故は、同一場所で、かつ、時間も極めて近接して発生したものであるから、原告の傷害及びその治療は、第一事故と第二事故の双方の衝撃が重なって発生したものというべきである。

もっとも、被告岩田は、第一事故は極めて軽微な事故であり、原告の負傷は、もっぱら第二事故によって生じたものであると主張する。たしかに、第二事故の衝撃の程度は、第一事故よりも大きかったということができる。しかし、頸椎捻挫は、軽微な衝突によって生じることも珍しくはないのであるから、第一事故の衝撃の程度が小さかったからといって、それだけで当然に原告に対して傷害を与えなかったとはいえない。したがって、被告岩田の主張は理由がない。

他方、被告佐久間は、原告の傷害について、第一事故によって生じたものと第一事故と第二事故によって生じたものを区別すべきであり、前者は、第二事故と相当因果関係がないと主張する。しかし、両事故は、時間的場所的に極めて近接して発生したものである上、原告の負傷内容に照らすと、両事故の衝撃は、いずれも同一部位に生じたものと理解することができるから、第一事故によって生じたものと、第二事故によって生じたものに区別することはできず、むしろ、第一事故による衝撃と、第二事故による衝撃が不可分に合わさって、原告が負傷したと判断するのが相当である。したがって、被告佐久間の主張も理由がない。

二  損害額(争点2)

1  治療費(請求額一〇万一五三〇円) 一〇万一五三〇円

原告は、立川若葉町脳神経外科での治療で、一〇万一五三〇円の治療費(文書料を含む)を負担した(甲三)。

2  代替労働賃金(請求額五〇万〇〇〇円) 二三万三三三三円

証拠(甲五~九、原告本人)によれば、次の事実が認められる。

原告が立川若葉町脳神経外科に通院したのは、本件事故当日である平成九年一〇月五日、六日、八日、一三日、二〇日、三〇日の合計六日である。原告は、有限会社山中塗装の代表取締役であったが、実体は、経済的に会社と一体の個人会社であり、他に、取締役である妻と従業員が二、三人いる。原告は、一日あたりおおむね半日を費やして立川若葉町脳神経外科に通院し、通院中は肩が張ったり、身体が痛かったりしたが、寝込むほどではなかった。原告は、塗装の仕事をすることができなかったので、同年一〇月三一日までに知人の青木清を二五日間雇用し、一日あたり二万円の合計五〇万円を支払った。なお、原告の収入は、月額四〇万円であった。

この認定事実及び争いのない事実によれば、原告は、本件事故直後は連続して通院したが、その後は一週間から一〇日間に一度通院したのみで、合計でも六日間しか通院していない。しかも、現実に寝込んでもいないことを併せて考えると、原告は、本件事故当日である平成九年一〇月五日から同月三一日までの二七日間のうちの代替労働力を使用した二五日間において、当初の一〇日間は一〇〇パーセント休業の必要があったものの、その後の一五日間は、平均して五〇パーセントの限度で休業の必要があったと認めるのが相当である。そして、代替労働力に対して支払われた賃金は、その役割からして、本来の労働力が制限が受けた限度において、第一事故及び第二事故と相当因果関係が認められるというべきであるから、原告が青木清に支払った賃金のうち、一月(三〇日)あたり四〇万円の合計一七・五日分である二三万三三三三円(一円未満切り捨て)を損害として認めることができる。

3  慰謝料(請求額三〇万円) 一二万円

本件事故の態様、負傷の部位・程度、通院の経過などの事情に照らすと、慰謝料としては一二万円を相当と認める。

4  弁護士費用(請求額二二万八〇〇〇円) 五万円

審理の経過、認容額などの事情に照らすと、本件事故と相当因果関係のある弁護士費用は、五万円を相当と認める。

第四  以上によれば、原告の請求は、被告ら各自に対し、共同不法行為に基づく損害金として、五〇万四八六三円と、これに対する平成九年一〇月五日(不法行為の日)から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由がある。

(裁判官 山崎秀尚)

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